8月4日(火)、桶川飛行学校平和祈念館のオープン前内覧会に出席しました。内覧会で目頭が熱くなりました。明日から一般公開されます(入館料は無料)。
テープカットの写真をご覧下さい。私から向かって左側の女性は臼田智子さん。旧陸軍桶川飛行学校を語り継ぐ会の会長です。お父様は伍井芳夫氏。伍井氏は当時、熊谷飛行学校桶川分教場の教官を務めたこともあります。昭和20年3月27日、壬生飛行場(栃木県)を飛びたった大尉の特攻機は鹿児島県知覧に向かう途中に桶川上空に飛来。2回旋回し、翼を振りながら家族に永遠の別れを告げます。同年4月1日、知覧より特別攻撃隊第二十三振武隊隊長として沖縄海域に出撃し戦死しました。伍井大尉は32歳。それでも特攻隊員の中で最高齢。妻と幼い2人の娘と生まれたばかりの長男を残しての出撃でした。次女が臼田智子さんです。
桶川飛行学校平和祈念館には、伍井氏の写真や遺書も展示されています。私は、遺書を読みながら目頭が熱くりました。
以下、当時生後4ヶ月だった息子芳則氏にあてた遺書です。私が同じ立場だったらどうか。悲しすぎる。戦争の悲惨さを後生に伝えていかなければなりません。

 【遺書 昭和二十年三月九日】

 物ノ道理ガ解ル年頃ニナッテカラ知ラセヨ

 芳則ニ一筆遺ス
 父ハ大東亜戦争五年目ノ春 名誉アル特別攻撃隊第二十三振武隊長トシテ散華ス
 オ前達ノ成長ヲ見ズシテ去ルハ残念ナルモ悠久ノ大義ニ生キテ見守ッテイル
 良クオ母サンノ謂イ付ヲ守ッテ勉強シテ日本男子トシテ 陛下ノ御子トシテ立派ニ成人シテ下サイ 
 将来大キクナッテ何ヲ志望シテモ良シ 唯父ノ子トシテ他ニ恥ザル様進ミナサイ
 オ母サンニハ大変ナ苦労ヲ掛ケテ頂イタノデス 御恩ヲ忘ズ立派ナ人トナッテ孝行セネバイケマセン 
 体ヲ充分鍛エテ心身共ニ健全ナルベシ

 昭和二十年三月九日 父ヨリ

芳則殿

〔封筒の端に鉛筆で書かれている〕
「物ノ道理ガ解(わか)ル年頃ニナッテカラ知ラセヨ」

芳則二一筆遺ス(よしのりにいっぴつのこす)
父ハ大東亜(だいとうあ)戦争ノ五年目ノ春 名誉(めいよ)アル特別攻撃隊第二十三振武隊長(しんぶたいちょう)トシテ散華(さんげ)ス
オ前達ノ生長(せいちょう)ヲ見ズシテ去ルハ残念ナルモ悠久(ゆうきゅう)ノ大義(たいぎ)二生キテ見守ッテイル
良クオ母サンノ謂(い)イ付(つけ)ヲ守テ勉強シテ日本男子トシテ 陛下ノ御子(みこ)トシテ立派二成人シテ下サイ
将来大キクナッテ何ヲ志望(しぼう)シテモ良シ 唯(ただ)父ノ子トシテ他二恥(はじ)ザル様(よう)進ミナサイ
オ母サンニハ大変ナ苦労ヲ掛(か)ケテ頂(いただ)イタノデス 御恩(ごおん)ヲ忘(わすれ)ズ立派ナ人トナッテ孝行セネバイケマセン
体ヲ充分鍛(じゅうぶんきた)ヘテ心身共二健全ナルベシ
昭和二十年三月九日 父ヨリ